この本は、私の兄貴分にあたる(と勝手に思い込んでいる…)マーク・エプスタインの名著です。翻訳させてもらえたご縁に感謝しています。エプスタインは、ジョン・カバットジンとラリー・ローゼンバーグと三羽烏として仏教瞑想を実践する法友だったらしいです。分子生物学者だったカバットジンが開発したMBSRのプログラムを受けに来て、トラウマを抱えているために苦しんでいる患者さんたちを、精神科医のエプスタインが陰ながら支えていたようです。本書に紹介されている事例から、そうした状況が感じ取られました。

 初期仏教(上座部仏教)、禅、チベット仏教からバランスよく学んでいる様子が現代のアメリカ仏教の現状をよく表しています。タイトルのThoughts without a thingerは、ビオンの「洞察する人がいなくなった時の洞察が一番深い」という発想から取ったものです。ビオンは、インドで育ったイギリス人ですが、精神分析において独自な貢献をしているのは、ある意味でゼロ(仏教の空も)を発見したインド思想の深さを身につけてしまっていたからなのだろうと思います。

 翻訳していて一番うれしかったのは、ウィニコットの母子関係に関する洞察を大切に引用し考察してくれていたことでした。人間存在の一番の基盤を逃さずに、仏教瞑想とつなげて考察することは現代の視点からブッダが説いたことを考察する時に欠かせないポイントだと思います。

 彼が本書の次に書いたThe trauma of everyday lifeもいい本で、訳したいと思っていたのですが、難しすぎるということで出版社に受けてもらえず、残念に思っています。複雑性PTSDや発達性トラウマ障害というトラウマ研究による新しい概念が出てきた今だからこそ、彼の先駆性がよく見える時代になってきたのではないかと思います。

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