初期仏教におけるトラウマの位置づけ

 『パーリ学仏教文化学』の第35号に掲載されています。ブッダの時代には「トラウマ」という言葉はありませんでしたが、トラウマという概念を苦しみの一部として経典を読み直してみることで、ブッダの教えがより深く理解できるようになります。

 本論では、先ず現代医療におけるトラウマ概念を紹介し、トラウマからの回復の中でマインドフルネスがどのように活かされているのかを述べてあります。その上で、仏教史の中で呼吸によるマインドフルネスが説かれるようになったきっかけとしての不浄観による集団自殺事件について紹介してあります。このトラウマ的な出来事を乗り越えるために、より安全性の高い修行法として呼吸によるマインドフルネスが説かれ、念処経の教えにまとめられていったのです。そして、念処経には「不浄観」も収められています。

 マインドフルネスの実践がどうしてトラウマ予防につながるのかについて、16の呼吸観察における喜びや安楽の観察を取り上げ、これらがトラウマを防止する安心基地となり得るためには、「観の汚染」(禅宗では魔境)と呼ばれる神秘体験の落とし穴を超えてゆく必要があることを説明してあります。これはオーム事件に象徴されるようなカルト的現象の防止にもつながってゆきます。

 後半では、キサー・ゴータミ―やパターチャーラ―というトラウマ体験者や、加害者になってしまったアングリマーラらが、ブッダの教えに導かれてどのようにトラウマを乗り越えていったのかについても論じてあります。