寺院向けの雑誌に10年近く連載したスピリチュアルケアに関する記事をまとめなおしたものです。臨床現場の話から、理論背景の説明まで、手軽に読み切れる分量で各回をまとめてあります。
スピリチュアルケアは、一般的に死の看取りに関するものとしてとらえられがちなものですが、私が高野山大学で構築してきたスピリチュアルケアは、子育てから看取りまで、人生のあらゆる場面で対応できるように配慮してあります。その理由は、人生最期の場面に寄り添っていると、その人がどのように育てられて生きてきたのか、そして子どもたちをどのように育てて生きてきたのかということが、その場に自然に浮かび上がってきてしまうからです。
仏教寺院の関係者が主な読者になりますので、第1章は、経典に出てくるスピリチュアルケアの基盤となる実践から配列してあります。2600年前のブッダの時代でも、よき看病をするための5条件とか、どんなに心を尽くして看病しても困った患者さんの5条件などの話が出てきます。そもそもの仏教の瞑想実践は、実際生活の中でのお互いのケアや看病や看取りに活かすことのできるものだったのです。当時はまだ病院のない社会ですから、ブッダは弟子たちに「家族を離れて出家した修行者たちは、病気になったり怪我をしたり、何かあった時はお互いに助け合いなさい」と指導したのでした。
それから私自身が家族との生活の中で繰り広げてきたてんやわんやの子育て体験の中から、スピリチュアルケアのポイントにつながりそうな場面を切り取って描写したものも並べられています。父を看取ったのも連載中のことでした。葬式や法事に関する所感を含めて、研究したり教育したりしながら学んできたことが実際の臨床場面にどのように活かされたのかについて実例があげられています。
第6章では、怒りへの対応法を含めて、ケアを提供している人たち自身がどのようにして燃えつきを防止したらよいのかについて説明してあります。それは、慈悲の瞑想を現代社会の中でどのように実践していったらよいのかという取り組みになっています。科学に裏打ちされていることを標榜している今どきのコンパッションやセルフ・コンパッションの背景には、2600年前から続くブッダの慈悲瞑想があったのだということを思い出してほしいと思います。
そして最後の第50話は、今私たちが突入しつつある超大量死時代における看取りケアを通して、第2次世界大戦の心の傷を癒してゆく可能性について述べてあります。ブッダのマインドフルネス瞑想をベースに、トラウマ理論や悲嘆理論などを統合して、今ここで起こっていることの中で、たまたまそこに居合わせるようにして出会っている人々の命の歴史が、少しでも癒されて、少しでも良い方向に向かうことができるようにと、そんな祈りが日常の小さな行動の中に込められるような生き方をめざしたいと思っています。
そう思うようになったのは、本書でも少しだけふれていますが、東日本大震災の直後にJapan Disaster Grief Support project(災害後の悲嘆を支援するプロジェクト:JDGS)を知り合いたちと立ち上げて、トラウマ研究者や悲嘆研究者たちと現場に届く支援の在り方を模索してきたからだと思っています。「スピリチュアルケアを通して一番学ばせていただいてるのは私自身なのだ」、という感謝の思いがこもった一冊です。
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