子育て中のお母さんやお父さんたちに瞑想を教えるようになって、赤ちゃんとお母さん(お父さんを含めた養育者:以下同様)の間で起こっていることをよく観察するようになりました。赤ちゃんをお膝にのせて、目を閉じて呼吸を感じるというようなこともやりました。お母さんが輪になって、その中で赤ちゃんを自由に遊ばせて、静かに赤ちゃんの様子を見守るという瞑想もやってみました。自分の呼吸や感情や思考を見つめるのと同じように、赤ちゃんの呼吸や感情や思考を見つめるようにお願いします。こんなことをしながら、世話しているお母さんやの呼吸や感情や思考を見つめていると、「えっ…」、「ア~」と思うことがよくあります。赤ちゃんのそれと、大きく違ってしまっているように見えることがあるからです。現実の赤ちゃんではなく、どこか別の世界にいる別なモノを見ているような気がすることもあります。 そんな時、自分にはこう見えていること、感じ取られてくることをどう伝えたらいいのだろう、その前にどう解釈したらいいのだろう、そもそも自分がそこで感じていることや見ていることは正しいのだろうか…という思いが強くなり、赤ちゃんとお母さんのことについてきちんと学びたいと思うようになりました。 ちょうどその時、トロントのセラピスト養成センターで学んだウィニコットのことを思い出し、『情緒発達の精神分析理論』から読み始めました。ウィニコットは、もともとは小児科医で、多くの母子を診察してきました。それから精神分析を学び、対象関係論という領域を打ち立てたパイオニアです。そんなウィニコットを読んでみると、そこに書かれていることは、私が親子の現場で感じていることにピッタリの言葉を与えてくれているような感じで、吸い込まれるように読み込みました。 ほどよい母親的環境、抱っこ、思いやる力の起源、ひとりでいられる能力、移行対象、錯覚と脱錯覚など、やっぱりそうなんだぁと思い当たることばかりでした。そして、そういう諸概念の根底には、「赤ちゃんは(一人では)存在しない、母親と赤ちゃんが一組になった存在があるだけだ」というウィニコット独特の見方(表現法)があります。 赤ちゃんに教えられた私のミッションは、赤ちゃんと一組になって存在しているお母さんたちに、今ここでのお二人さんの間で起こっていることに注意を向け、二人にとってより幸せな時間を過ごすための道のりを探すお手伝いだったようです。それは、二人一組になった人生の基本的カップリングから子どもたちが安心感と自信と思いやりを身につけて、一人になって旅立っていけるような発達促進的環境になるためのお手伝いでもあります。 現代社会において発達促進的環境になることは、私たちに与えられた進化の最先端の任務だと思います。私たちは哺乳類として共同保育をする中で言語を獲得し「私」という意識を獲得して進化してきました。そして動物行動学者カルフーンのユニバース25と呼ばれるマウス実験が示唆するように、地球という生態系の中で個体数が増え続けている人類がその社会性行動を維持してゆくためには子育て能力を失ってしまわないことが大切になるからです。 そのためにも、先ずは自分がブッダのマインドフルネスを子育て現場で応用実践してみて、分かったことや感じたことを子育て中の仲間たちにお伝えする試行錯誤を続けてゆくしかありません。そのための道案内人としてウィニコット先生に出会ったのだと思います。 ちなみに、『情緒的発達の精神分析理論』の原題は、Maturational processes and the facilitating environment でした。発達促進的環境が精神分析理論と堅い言葉で訳されてしまっています。言葉の理論で分かるということが、子どもの発達をファシリテートするための環境になれるということにつながるのだと思います。ファシリテーションをする人たちにはぜひ知っておいて欲しいことですし、子育てしているお母さんたちはすごい仕事をしているのだという自負心を持ってもらいたいと思います。
私が還俗することを決意したきっかけは、赤ちゃんを抱っこした体験でした。トロントで仏教瞑想を教えていたころ、弟夫妻に赤ちゃんが生まれ、義理の妹のベッキーから「ウィマラ、祝福して」と生まれたての赤ちゃんを手渡されました。厳しい戒律を守るために長い間身体接触を制限していたたので、生身の赤ちゃんを抱っこする体験はとても怖く感じられました。指と指の間からこぼれ落ちてしまいそうな不安…とでも表現したらいいでしょうか。 でも、妹から目の前に赤ちゃんを差し出られた以上、受け取らないわけにはいきません。不安と緊張でこわばった顔で受け取ったのではないかと思います。すると、次の瞬間、自分でも思いがけないことが起こりました。赤ちゃんを抱きとめた瞬間、腹が据わって「よし、命をかけて守るぞ」という気持ちが湧き上がってきたのです。私は高校時代バドミントン部のキャプテンをしていて、「鬼の井上」と言われていた時がありますが、そのアスリート魂が一瞬のうちに蘇ってきたような感じでした。自分の中にまだこんなに熱い気持ちが残っていたのに驚きました。 ここまで修行をしてだいぶ探求を深めてきたように思っていたけれども、まだまだ人生の半分くらいしか探求出来ていないのかもしれない。これまでは修行の邪魔だと思い込んでいた家庭生活や子育ての中にも、瞑想修行で養った洞察力を応用して探求するべき世界が残っているかもしれない…、このまま出家修行を続けていっていいのだろうか、このままで自分の人生は本当に満たされるのだろうか? そんな疑問が頭をよぎりました。でもこれまで出家修行者として瞑想を教えてきたプライドがあって、「在家生活に戻るなんて…」という恥ずかしさのような怖さのような気持ちもありました。こんな気持ちの揺れ動きを、少し離れたところから見守っている自分もいます。 結局、私は半年間ほど悩んだ末に還俗する決意を固めました。赤ちゃんに肩をポンと押されたような感じです。その赤ちゃんも今は良き若者に成長して、先日来日して、神社で結婚式をしていきました。 そういえば、日本に帰国して最初に瞑想を教えてくれと頼まれたのは、子育て中のお母さんたちの会からでした。瞑想の智慧を子育てに伝えてゆくこと、私にはその使命があることを赤ちゃんから教えられた体験だったのだと思います。