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赤ちゃんに教えられたこと

 私が還俗することを決意したきっかけは、赤ちゃんを抱っこした体験でした。トロントで仏教瞑想を教えていたころ、弟夫妻に赤ちゃんが生まれ、義理の妹のベッキーから「ウィマラ、祝福して」と生まれたての赤ちゃんを手渡されました。厳しい戒律を守るために長い間身体接触を制限していたたので、生身の赤ちゃんを抱っこする体験はとても怖く感じられました。指と指の間からこぼれ落ちてしまいそうな不安…とでも表現したらいいでしょうか。

 でも、妹から目の前に赤ちゃんを差し出られた以上、受け取らないわけにはいきません。不安と緊張でこわばった顔で受け取ったのではないかと思います。すると、次の瞬間、自分でも思いがけないことが起こりました。赤ちゃんを抱きとめた瞬間、腹が据わって「よし、命をかけて守るぞ」という気持ちが湧き上がってきたのです。私は高校時代バドミントン部のキャプテンをしていて、「鬼の井上」と言われていた時がありますが、そのアスリート魂が一瞬のうちに蘇ってきたような感じでした。自分の中にまだこんなに熱い気持ちが残っていたのに驚きました。

 ここまで修行をしてだいぶ探求を深めてきたように思っていたけれども、まだまだ人生の半分くらいしか探求出来ていないのかもしれない。これまでは修行の邪魔だと思い込んでいた家庭生活や子育ての中にも、瞑想修行で養った洞察力を応用して探求するべき世界が残っているかもしれない…、このまま出家修行を続けていっていいのだろうか、このままで自分の人生は本当に満たされるのだろうか? そんな疑問が頭をよぎりました。でもこれまで出家修行者として瞑想を教えてきたプライドがあって、「在家生活に戻るなんて…」という恥ずかしさのような怖さのような気持ちもありました。こんな気持ちの揺れ動きを、少し離れたところから見守っている自分もいます。

  結局、私は半年間ほど悩んだ末に還俗する決意を固めました。赤ちゃんに肩をポンと押されたような感じです。その赤ちゃんも今は良き若者に成長して、先日来日して、神社で結婚式をしていきました。

 そういえば、日本に帰国して最初に瞑想を教えてくれと頼まれたのは、子育て中のお母さんたちの会からでした。瞑想の智慧を子育てに伝えてゆくこと、私にはその使命があることを赤ちゃんから教えられた体験だったのだと思います。