お悟りが開けて、輪廻から解き放たれた人たちがよくやるという6隨念のひとつに天隨念があります。神さまのことを繰り返して想い出してみるマインドフルネスの実践です。私は「神さまになったっちゃた瞑想」と呼んで、生徒たちを神社に連れて行って、「さあ皆さんが神さまになったとしたら、お参りに来る人たちにどういう思いを向けてゆくでしょうか…」と話して瞑想してもらうことがあります。
天隨念をするためには、二つのステップがあります。最初は、神さまという存在はどのようなすばらしさや能力を持っているのかを考え、そのようなすばらしさや能力を持つようになるためにはどのような努力を積み重ねた(波羅蜜)のかについて考えを巡らせます。次に、自分にはそのようなすばらしさや能力があるか無いか、それらを獲得するための努力の積み重ねを実践してきたかどうかを考えます。そして、それらが自分にあるならば喜び、その喜びを生きる力にします。備わっていなければ、努力しようと願います。
この瞑想は、言葉を使い思考を巡らすので深い集中状態には入れませんが、このように思いを巡らせることによって心が澄み切り、落ち着いてきます。
さて、「神さま」の修行は何かというと、人々を守り導くことによって修行するのだそうです。人間は神さまにいろんなお願いはしますが、教えたとおりに実践する人は少ないですから、とても難しい修行だと思います。だから、神社に行ってこの瞑想をする時には、「あなたがもし神さまだったら、ここにきていろんなお願いはするけれども、ちっとも教えたとおりに実践しない人たちを、どのように見守り導くことができるでしょうか?」と質問をしてみます。
子どもを育てたり、人を教えてみたりするとよくわかるものですが、人は教えたとおりにはやりませんし、その人なりの仕方でしかできないものです。そのことを承知して、どのようにその人を理解して、環境を整えて、必要最低限の教えを提供してゆけるか、教えたとおりにはやらず、自分なりの仕方でしかやっていかない人間を見捨てずに見守っていけるかが修行になるのです。
生殖医療をはじめとする高度な科学技術で、神の領域に足を踏み入れてしまった現代人だからこそ、実践してみたいブッダの修行法です。