死念は瞑想史上で最も難しいものの一つです。マインドフルネスの修行が軌道に乗り、完成の域に達してから実践したほうがよいと思います。でも、この死念の実践ができるようになると、毎日を、今この瞬間をとても充実して、ありがたい思いで過ごすことができるようになります。禅宗には「頭燃を払うがごとく」修行すべしという教えがありますが、その頭燃の原点がこの死念です。
呼吸を観察していて、今このひと息が最期のひと息になって、次の息が出て来てくれないこともありうるのだということを、身にしみて感じることが実践の中核になります。逆に言うと、呼吸瞑想の最高到達地点はこの死念の境地になると言ってもいいでしょう。「私」の死をリアルに受け入れながら、今この一瞬を生きてゆくトレーニングです。
これはキリスト教のメメント・モリの修行ととてもよく似ています。ブッダの教えは、遅くとも紀元前2世紀ころには中東やギリシャ地方には伝わっていたと思われます。アレクサンダー大王の東征によってギリシャ文化がアジアにもたらされたのと同時に、インドの仏教も中東やギリシャに伝えられたのです。アショーカ王による仏教伝道はギリシャに及んでいたという記録もあります。こうして中東に伝わり、ユダヤ教の密教を通してキリスト教の出現に秘かに流れていったであろうブッダの教えが、中世になってメメント・モリの実践として花咲いたのだと思うと歴史のロマンを感じますね。
いずれにせよ、死を忘れないようにすることで今ここの人生を充実させようという瞑想実践は、洋の東西を問わず、脈々と伝えられているのです。